東海村臨界事故:

は じめに

東海村のウラン燃料加工工場JCOでの臨界事故の直後から、事故に直接巻き込まれた技術者たちの責任や、訓練のあり方などが大きく取り 沙汰されてき た。しかし一方で、原子力施設の長期安全を確保し、現場技術者訓練の補佐をすべき立場であった科学技術庁、原子力安全委員会、原子力委員会といった政府組 織に対する指導責任の追及は、やや手ぬるいように思われる。加えて、臨界事故との関連において、核爆発や核兵器開発の可能性に対する疑問や関心が高まって きている。これらの事柄の重大性をかんがみ、我々は以下に科学者・技術者に求められる倫理・責任について述べたいと思う。

科学技術と倫理

ここで論じるのは、科学者・工学者の倫理と個人の尊厳について、そして個人から企業組織まで、さらには行政レベルでの審査や政策決定に 関わる人々ま でが持つべき責任感について、である。法律や医療と同様、すべての科学的・工学的な営みは、倫理規範が守られることを前提としている。例えば、米国機械学 会の倫理規定の冒頭には、工学者が「自身の専門的職務の中で、公共の安全、健康、福祉を第一に考えること」を強く求める旨が記されている。科学の文脈で言 う「倫理」とは、自分の行動がもたらすであろう結果をあらかじめ考慮することであり、自分の主義に基づく選択決定の際に問題となるものである。私たちは 皆、個人の価値観を持っていて、状況に応じてそれらを適用するわけであるが、その価値観が科学者・工学者として求められていることと衝突することがありう る。

工学倫理に関する衝突の一つの例として、スペースシャトル・チャレンジャー号の爆発事故がある。1986年、シャトルは米国大統領の議 会での国政報 告の数日前に打ち上げられるよう予定されていた。計画の遂行に関して企業内に財務的・政治的な圧力があり、工学者たちは予定どおりに打ち上げを実行するよ う束縛されていた。このようにしてチャレンジャー号は打ち上げられ、そして7人の宇宙飛行士の命を奪う爆発事故を起こした。事後調査により小さなOリング (燃料ガスの漏れを防ぐ部品)の技術的ミスであったことがわかった。技術的には単純な部品であるのに、なぜ見過ごされてしまったのだろう。単純に一つの原 因に集約することはできないが、調査が明らかにしたことによると、管理者に対する外部からの圧力が、数々の細かい問題が見過ごされる結果を引き起こしてし まったようである。

以上の例のように、外部からの圧力によって個人の価値観と企業組織、あるいは社会からの要求とが衝突してしまい葛藤が起こることがあ る。科学者・工 学者各個人が、自分は究極的には誰のために、何のために働いているかを考え、決断を下すのはこのような時である。科学・工学倫理や社会的責任感が最も役に 立つのはこのような時である。もちろん自分の企業に対する忠誠心は称えられるべきであるし、時には望ましくもある。しかしながら、偏ったものの見方に基づ く要求が、社会の安定というより広い目的とは矛盾してしまうときは、たとえ結果として圧力に逆らうことになっても、要求を見直し、道徳的判断を下す必要が ある。